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幸せになろうー宇宙Sixのこと、はやしくんのこと-①

2016.11.11、嵐あゆあぴ札幌で初お披露目となり、潤くんによって紹介された「宇宙Six」という6人のグループ。

オープニングUps and DownsからThey三人とコタ原めぐが同じ衣装で登場した。「やっぱりそういうことか」と察した。途端に心がざわざわして動悸が激しくなった。噂は本当だったんだと。コンサートを無邪気に楽しむ嵐ファンに囲まれた自分に激しく異物感を覚えた。記憶がほとんどない。終演後は絶望のどん底で消えていなくなりたいと本気で思っていた。

 

私が2016年2月、はやしくんに降りてからThey武道としての活動は2016クリエのみだった。グループとしてまるっと愛すには、あまりにもThey武道の現場が少なかった。でも愛さなければ…Only担にはなりたくない…自分に暗示をかけて、新しく誕生した宇宙Sixというユニットもなんとか受け止めようとした。でも到底無理だった。心が拒絶していた。「なんでこんな変な名前を付けられたんだろう、なんでThey武道のままじゃ駄目だったんだろう、なんではやしくんはあんな複雑な顔をしてステージに立っているんだろう」…そんなことをずっと考えながら、あゆはぴを終えた。

 

もちろん、あゆはぴでのはやしくんの踊りやパフォーマンスはアイドルとして必要充分な水準にはあったと思う。ただ、japonismや2016滝沢歌舞伎やアンダースタディで感じたような多幸感はそこにはなかった。踊るはやしくんを見ながら何度も苦しくなったり泣きたくなったりした。でも「そんなこと考えちゃだめだ、せっかくステージに立ってくれているんだから」って自分の気持ちに蓋をして、精いっぱいのポジティブを装って「楽しかったね」って無理やり口にして、12月の東京公演を見終えた。

 

それから、はやしくんが宇宙Sixというグループに深く言及することはあまりなかった。結成直後の2016.12.5の連載は何かから逃げるような空っぽの言葉で埋められていた。はやしくんは心を閉ざしたと思った。…でも仕方ない。去年からのThey武道3人の関係性と別々の現場と。そして、2016年のはやしくんは個人のお仕事でファンを幸せにするだけのものを提供してくれたのだ。だから、グループでいるときにまで求めてはいけないのだと。グループとはやしくんを同次元で考えるから苦しくなるのだと。だったら、林翔太個人を応援すればいい、役者として成長していく彼だけを見ていけばいいと割り切ることにした。そうしないとやっていけなかった。恐らくその割り切りは、好きになった当初からわたしの中にあったんだと思う。それが宇宙Sixになって自分の中で顕著になっただけ。

 

そして、今年の春。滝沢歌舞伎の幕があがり、よぉいやさぁの日々が始まった。去年とは違う「年少さんリーダー」という職務を任され、さながらJr.の中間管理職のような立ち位置に、初日こそ見ていて複雑な気持ちになれど、演舞場のステージに立つ姿は力強くて逞しく…わたしの大好きな、努力家で真っ直ぐなはやしくんがそこにいた。もがきながら一公演一公演、何かを学んで前に進んでいく姿をみて、やっぱりこの人を心の底から応援したいと思った。

 

そして千穐楽の前日、2017.5.13「滝沢電波城」、はやしくんは目標を尋ねられ《もっとお芝居がしたい》と答えた。

 

「ああ、嬉しい!!!!!」

…単純にそう思った。

はやしくんは夢をみることを諦めていなかった。

環境が変わっても自分の意思を言葉にすることを躊躇わなかった。

ただただそれが嬉しかった。

 

新ユニットになって、一番恐れていたのは「はやしくんが未来に絶望すること」だった。ラジオO.A後に「なんでそこでグループのこと言わなかったの?」って思ってる人がたくさんいたことも察した。でも、そんなことはどうでもよかった。言いたい奴には言わせておけばいい、大好きな人が前を向いているという、ただそれだけでわたしは充分に幸せだ。これからも個人として揺るぎなく応援していこうと誓い、2017.5.14千穐楽の幕が降りた。

 

はやしくんにとって滝沢歌舞伎は、尊敬する師匠・滝様のもとで成長できる特別な場所で。2016年の躍進劇のきっかけを与えてくれたのは間違いなく滝沢くんで、そのチャンスをものにしたのは、間違いなくはやしくん自身の努力と才能で。わたしは春があればそれで充分だと思っていた。これ以上に幸せな現場はないと思っていた。

 

だから、クリエが怖かった。グループにいるはやしくんを見るのが怖かった。

 

滝沢歌舞伎の余韻に浸る間もなく、2017.5.21、宇宙SixMADEの合同公演が始まった。